2017年10月24日火曜日

「キョウイクとキョウヨウ」

山陽新聞のコラムから。
http://www.sanyonews.jp/article/610325/1/

「定年後はキョウイクとキョウヨウ」。
この見出しをみて、最初は「なるほどお」と素直に思ったのです。
トシをとればなおさらに教養が大切。そのためにもやはり教育は大事。

おっしゃる通り…と読み進めると、なんと
「タイトルにあるのは『教育と教養』ではありません」とあるではないですか。
「キョウイクは『今日行く』、キョウヨウは『今日用がある』ということなのです」と。

これは衝撃でした。
自分はまだフルタイムで働いていて、毎日当然に仕事に行き、多くのアポがあって毎日違う人に会い、それなりに忙しくしています。これが当たり前のことと思っています。

しかし、定年になって仕事を終えると、こんな当たり前のことさえ無くなるのか。
今日行くところがない、今日なにも用事がない。そんな状況にいまの自分は耐えられるのだろうか。

確かに会社だけの生活を送っていると、老後に何もすることがない、燃えがらのように毎日になってしまう、というのはよく見聞きしていたものの、「キョウイクとキョウヨウがない」という言葉で一気に実感を、それも衝撃をもって覚えてしまったのです。

月並みではありますが、会社だけでない生活、地域での居場所、自分で行える物事や趣味、達成できる物事、社会や人々のために貢献できるなにものか、といったことを、本気で探さなければならない。あと残された日々はそれほど多くない、と思った記事でした。

みなさんはどう思われますか?














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